「災害」とはおおよそ「天気」が関係する。全てがそうだとは言い切れないが、ほぼ、そうだろう。
普段からぼんやりとそう思ってきた。自分の思ってきたことを文章にしてみたいと思った。
天気の定義
天気とはある場所における、ある時刻もしくは一定の期間の、地表に影響をもたらす大気の状態のことである。
この「地表に影響をもたらす」、というところは私たちの生活に密接に結びついている。
天気は神聖なものだった?
古代の人達はそこに「神」を見た。
日照りが続けば「雨ごい」をしたり、嵐になれば「神の怒り」を思ったりと、「天気」は人々の「恐れるもの」でもあったのだと思われる。
太陽や月を信仰した民族が古代にはたくさんいたことも、自然に畏敬の念を抱いていたからだろう。
動物や植物の観察をし、月や太陽の様子などを見ながら、農作物の種をまく時期を決めたり、船を操作したりした。
そうやって天気を予測していたのは、自然とうまく付き合う生活の知恵だった。
大気の状態で美しい四季ができ、平安貴族達は和歌に詠み、自然の美しさを愛で、たたえた。
近年になって科学が発達し、天気予報も可能になってくると、人類は自分たちの都合のいいように天気を使うことが増えてきた。
天気からすると迷惑な話だろうが、戦争の作戦を左右することにまで、天気予報が使われていたこともあったようだ。
現在ではどうか
太陽の光や風の力を使ってエネルギーを作ろうとしている。二酸化炭素を出さないための取り組みのようである。新しい恩恵に感謝するが、自分たちの都合のいいように使っているのは変わらないと思う。
しかし、この「天気」、大気の状態は昔のように穏やかではなくなってきている。
昨今の日本の天気
夏に夕立が降るのはおなじみだが、その降り方が極端になっている。いつの頃からか「ゲリラ豪雨」と呼ばれるような、短時間に強烈な雨が降るのはまだマシなほうかもしれない。
「土砂崩れ」や「洪水」を引き起こす「線状降水帯」という言葉をよく聞くようになった。
そして、「猛暑」「酷暑」「気温40度」
この、気温40度だが、不思議に思っていることがあった。
亜熱帯なのに?
40度になるような地域はたいてい関東で、内陸部だ。亜熱帯とされる沖縄は聞いたことがない。
亜熱帯なのだから日本列島で一番暑い地域なのに、沖縄が40度になったニュースは聞かない。
なぜだろう?と気になっていた。
これは琉球新報デジタルに載っていた記事である。
沖縄気象台によると、(1)沖縄は周囲を海に囲まれた海洋性気候(2)高い山がないことから、フェーン現象の影響を受けづらい(3)コンクリートで覆われた地域が狭いためヒートアイランド現象の影響を受けづらい―ことが猛暑日になりづらい要因だという。特に海からの風が常に吹き込むことで、空気が適度に冷やされる環境が大きいという。
なるほど、そういうことなのか。ならば、コンクリートがなかった琉球王国の時代はもう少し暑さが緩かったかもしれない。
「コンクリート」が猛暑の原因の一つでもあるようだ。そうは言っても耐震のためにもコンクリートは必要だから難しいところだ。
「暖冬」も気になる
こんなに暖かくて大丈夫大丈夫かな?
大きな地震があるかもね
と、友人と話していたら偶然にもその2日後に阪神大震災が起こった。
暖冬が引き金になった訳ではないだろうが、冬らしからぬ気温の日が多かったのを覚えている。
東日本大震災の時も3月だが、暖冬だったように思う。
進む温暖化
天気は昔から災害をもたらしてきた。これは現在も変わらない。
被害を減らすために人類は努力してきた。これから先もそうだ。
だが、現在は人類の生産活動の副産物かのように「温暖化」が進んでいる。
悲しいことだが、世界のいろいろなところで戦争や、内乱がある。爆弾を使うのは、温暖化を進ませるように思う。
二酸化炭素は分解できないのか?それができるのは「葉緑体」だけのようだ。
植物が誕生したころ、酸素はなかった。
酸素は植物が光合成することで増えていった。
その酸素を必要とする動物が現れ、二酸化炭素を吐き出す。そしてまた光合成されて…と持ちつ持たれつ、だったわけだ。
産業革命などで、自然破壊が進んだことも温暖化の要因の一つだろう。
二酸化炭素を分解したくても「葉緑体」にとってみたら、仲間が足りないのかもしれない。
これからどうする?
国連が定める目標(SDGs)の中に「気候変動に具体的な対策を」とある。2030年を目指しているが間に合うのか疑問だ。
だからと言って何もしない訳にもいかない。
昨今の異常な「天気=地表に影響をもたらす大気の状態」は人類が作っていると思う。
世界中の人が意識しないといけない問題だ。
一個人の微力にしか過ぎなくても、できることはしていきたいと思う。
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